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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和37年(ワ)138号 判決 1964年3月11日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、請求の趣旨および請求の原因を別紙(一)昭和三八年七月二二日付準備書面記載のとおりのべた。

被告はこれに対する答弁および被告の主張として別紙(二)答弁書記載のとおりのべた。

原告は被告の右答弁書記載の主張に対し別紙(三)昭和三八年一一月一一日付準備書面記載のとおりのべた。

理由

原告の主張は必ずしも明らかであるとはいえないのであるが要するに、原告はかつて別紙目録記載の田を所有し、これを小作契約によつて一反につき一石の割合の小作料の支払をうける約定で第三者に小作させていたところ、農地調整法九条の三、一項一号、九条の二、二項、同法施行令一二条一項にもとづく昭和二一年一月二六日農林省告示第一四号(原告の各準備書面中農林省令第一四号とあるのは右告示第一四号の誤記と認める)により一石につき金七五円の割合という極度に低額な金納小作料に制限されたため本来あけ得べき物価の騰貴に均衡した収益をあげることができなかつた。この金納小作料による統制は食糧増産のため小作農に利益を与え保護するという公共の福祉のためになされたものであり憲法二九条三項にいう私有財産を「公共のために用ひる」ばあいに当てはまるから同条項によつて「正当な補償」額までの差額を損失補償として請求する、というにあると解せられる。

しかしながら、右の金納小作料による制限は、農地に対する国策の進展に伴う法律上の措置の一つであつて憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するように法律によつて定められた農地所有権の内容であると解すべきであり、いいかえれば農地所有権そのものがかような社会的制約を内在するものと観念され、かような制約を含む権利としてその性質を変化したものと見なければならない(最高裁判所昭和二八年一二月二三日大法廷判決、同裁判所判例集七巻一三号一五二三頁以下参照)。今日においては憲法二九条二項の趣旨により所有権の内容や契約内容が種々規制される例はほかにも決して少くないのである(一例をあげれば地代家賃統制令、利息制限法などの統制法規等)。そして本件の金納小作料による制限が権利自体に内在する社会的制約と見られる以上これをもつて憲法二九条三項にいう私有財産と「公共のために用ひる」ばあいに当てはまるものと解することはできない(なお、またこの制限に対し補償がなされないからといつて原告のいうような憲法や他の法律の各条項に違反するということもできない)。またこの統制額の相当性は法律に別段の定めのない本件にあつては司法的抑制の外にあるものというほかはない(ただ少くとも原告のいうような平均物価の騰貴に均衡した価格である必要のないことは明らかである)。したがつていずれにしても本件の金納小作料による制限に対し「正當な補償」を請求することはできないものといわねばならない。これと見解を異にする原告の主張は採用することができない。

そうだとすれば、その余の判断をするまでもなく、原告の本訴請求はその主張自体理由がないというほかないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

別紙(一) 準備書面

原告 権田鎮雄

被告 国

浦和地方裁判所熊谷支部昭和三七年(ワ)第一三八号金納小作料による損害賠償請求事件。

右事件に付ての原告の主張を一括して陳述すれば次の如くである。

請求の趣旨

被告は農林省令第一四号の金納小作料米価によつて別紙記載の田に付て生じた損害金参拾五万壱千三百五十三円を憲法第二九条第三項による損失補償として支払う事を請求する。

理由

別紙記載の田に対する米による小作料は民法「第二〇六条所有者は法令の制限内に於て自由に其所有物の使用収益及び処分の権利を有す」との規定に依て小作農との間に一反一石の割合で自由に結んだ契約である。此収益権は財産権の内容をなすものであるから憲法第二九条第一項に依て不可侵である。従つて農林省令第一四号の如き収益権を低廉な金納小作料に制限する事は財産権の侵害であつて許されないのである。又憲法第一四条の政治的経済的に差別されないと云う規定にも反する。然しながら公共の為に使用する場合は正当の補償を支払う事に依て憲法第二九条第一項及び第一四条にも違反しないのである。当時は戦後の甚だしい食糧不足状態だつたので食糧増産の為に小作農に利益を与え保護する事を目的として此様な低廉な金納小作料の措置がなされた事は疑を容れない所である。然し憲法第二九条第三項に依れば私有財産を公共の為に使用する場合正当の補償を支払わなければならないのであるが本件に於ては地主の被る損失に対して正当の補償を支払つていないのである。従つて農林省令第一四号の金納小作料規定は憲法第二九条第三項違反となり無効となるべきである。施行以前ならば無効となす事だけでよい訳だが既に施行ずみで原告は損害を被てしまつたのであるから公共の為に使用する場合当然支払うべきであつた損失に対する正当の補償を請求する次第である。

損失補償請求額算出方式は次の如くである。

農林省令第一四号に定められた一石七五円の金納小作料米価に付て見るに昭和九年―一一年の生産者米価は二六円八〇銭(日本農業基礎統計による)であるから一石七五円は其二、八倍にしかすぎない物価は総理府統計局消費者物価指数表に依れば昭和九年―一一年を一として昭和二一年は其五〇・六倍、同二二年は一〇九・一倍、同二三年は一八九・〇倍であつた。

物価が騰た場合貨幣価値は騰ただけ減少するのであり、且すべての物が社会的関聯を有するのですべての物が物価の上昇につれて騰るのである。米について見るに昭和三七年の米価(統制求価も自由米価も略々同じ)一石一万二、〇〇〇円は昭和九年―一一年の生産者米価二六円八〇銭の約四〇〇倍であり統計局の総合物価指数は三七一倍(昭和九年―一一年を一として)であるから大体米も物価に均衡して騰ている。従つて統制がなければ米も物価に均衡して騰た事は明らかである。従つて公共の為に省令第一四号の如き金納小作料を定むる場合即ち使用する場合は当然其為に被る地主の損失に対して物価に均衡した米価を以てする正当の補償を支払わなければならない。

従つて昭和二一年の物価に均衡した金納小作料米価は二六円五〇銭を五〇・六倍した金一、三五六円八銭で一町六反三畝は二万二、一〇四円一〇銭である。然して省令第一四号規定は昭和二一年四月一日より施行されたのであるからそれ以前の三ヶ月分金五、五二六円を差引いた金壱万六、五七八円一〇銭より更に一石七五円で小作農から支払を受けた九ヶ月分の金納小作料額九一六、九〇を差引いて得る金壱万五、六六一円一〇銭が昭和二一年度分の損失補償請求額である。

昭和二二年度の物価に均衡した金納小作料米価は二六円八〇銭を一〇九・一倍したものを更に一町六反三畝を乗じて得る金四万六、四三六円七四銭である。之より既に一石七五円の金納小作料を支払を受けているので七五円に一町六反三畝を乗じて得る金一、二二二円五〇銭を差引いた金四万六、四三六円七四銭が昭和二三年度の損失補償請求額である。

昭和二三年は物件の田を七月に買収されているので六月迄の六ヶ月に付て補償を請求する。

即ち二六円八〇銭を一八九・〇倍したものを更に一町六反三畝を乗じて得る八万二、五六二円七六銭の二分の一金四万一、二八一円三八銭が物価に均衡した昭和二三年度の金納小作料額である。

之より既に支払を受けた金納小作料即ち七五円に一町六反三畝を乗じたものゝ二分の一即ち六一一円二五銭を差引いた得る金四万〇、六七〇円一三銭が昭和二三年度損失補償請求額である。

昭和三七年の総合物価指数は三七一、〇であるから昭和二一年、二二年、二三年の各七、三三倍 三、四倍 一、九六倍であるから昭和二一年、二二年、二三年の損失補償請求額それぞれ拾壱万四、七九五円八六銭、拾五万七、八八四円九二銭、七万九、七一三円四五銭合計金参拾五万二、三九四円が原告の請求する昭和参拾七年に於ける損失補償請求額である。

本件は民法第二〇六条の定める地主の収益権を甚だしく低廉な金納小作料価格を以て制限したのであるが之が公共の為に使用した事に当るとする理由は次の如くである。

憲法第二九条第三項は物自体を収容して使用する場合だけに制限をしていないので権利だけを制限又はとり上げる事によつて使用する場合にも適用さるべきである。

実際にも公共の為に土地などに付て使用、収益又は処分の権利を制限した又は禁止した多数の例があるが其場合所有者に損失がある場合相当の補償が支払われているのである。

本件に於ては地主である原告は此様な金納小作料価格の制限がなければ物価の騰貴と共に騰た価格で小作米を売て物価に均衡した利益を得る事が出来たのである。それを国が地主の原告の承諾を得ずに勝手に此金納小作料価格の制限をなし更に土地引上権の禁止的制限を設けて原告の自由であるべき使用収益処分の権利を奪つた事は明らかに食糧増産の為という公共の福祉の為に使用、収益、処分の権利を徹底的に制限した点に於て原告の農地財産を勝手に使用したものである。本件の場合に正当の補償を支払わなくもよいとすれば甚だしく低廉で只同様の金納小作料、然も使用処分の権利も奪われて残るは所有権の名義と納税の義務だけであつた補償が支払われないとすれば小作料だけで生活していた地主達は生活不能に陥るのである。之は人道上許され得ない重大問題である。又農地買収に対する不服申立事件(最高裁判所昭和二十八年十二月二三日判決)の判決に於て国は農地を買収して小作農に売渡しているので国自身は使用していないが農業生産力増強を目的とした自作農創設の為になされたのであるから公共の為に使用した事に当ると判決している事から見ても国自身が物自体を使用しなくてもよいのである。

添附書類

経済統計月報による消費者物価指数 壱通

昭和参拾八年七月二十二日

原告 権田鎮雄

浦和地方裁判所熊谷支部 御中

別紙(二)

昭和三七年(ワ)第一三八号損害賠償請求事件

原告 権田鎮雄

被告 国

昭和三十八年九月二日

右被告国指定代理人 青木康

山口智啓

君島一郎

横山輝夫

寺田英夫

浦和地方裁判所熊谷支部 御中

答弁書

請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第一 請求原因に対する認否(昭和三八年七月二二日付原告準備書面につき)

第一項(冒頭より二丁表後から四行目「…求する次第である。」まで)

訴状記載の田につき地主たる原告と小作農某との間に一反一石の割合の小作料の支払を内容とする小作契約があつたかどうかについては不知。

その余の主張の趣旨については争う。

第二項(二丁表後から三行目「損失補償請求額算出方式…」より四丁表四行目「…損失補償請求額である。」まで)

昭和二一年一月二六日農林省告示第一四号(以下「本件告示一四号」という)が昭和二一年四月一日より施行されたことは認める。

日本農業基礎統計によれば昭和九―一一年の生産者米価(この正確な意義について明らかにされたい。)は二六円八〇銭であること、および物価が総理府統計局消費者物価指数表によれば、昭和九―一一年を一とし昭和二一年はその五〇、六倍、同二二年は一〇九、一倍、同二三年は一八九、〇倍であること、昭和三七年の綜合物価指数が三七一倍(昭和九年―一一年を一として)であることは何れも不知。

その余の主張の趣旨については争う。

第三項(四丁表五行目「本件は…」より末尾まで)

主張の趣旨については争う。

第二、被告の主張

原告の主張は、要するに、原告は本件土地について小作契約によつて時価相当額の収益を挙げることができる筈であつたところ、本件告示一四号により小作料の額が不当な低額に制限されたため、本来挙げ得べき収益を挙げ得なかつた。しかして右小作料の統制は憲法第二九条第三項にいう「公共のために用ひる」に当たるから、同条項によつて「正当な補償」額までの差額を損失補償として請求するというにある。

しかしながら、右農林省告示による小作料の統制は、憲法第二九条第二項所定の財産権の内容に対する法律による限定の場合のひとつであつて、同条第三項にいうところの「私有財産」を「公共のために用ひる」場合に該当しないから、原告が右小作料の統制を理由として損失の補償を請求することは失当というべきである。

憲法第二九条はその第二項において、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」と規定して、私有財産権が「神聖不可侵の権利」ではなく、公共の福祉に適合する範囲において認められる権利であることを宣言し、一方、第三項においては「私有財産は、正當な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と規定し、公共のためには特定の個人の特定財産につき正当な補償をもつて、使用、収用しうることを定めている。

ところで右の第二項と第三項を対比してみて明らかなように両者の違いは次の点に存する。つまり、第二項の方は、一定種類の財産権一般の内容を法律をもつて一般的に制限しうることを定め、その結果当然なことではあるが、その制限については「補償」を要するものとはしていないのに対し、第三項の方は、右のような一定種類の財産権一般の一般的制限というかたちによつてではなく、特定の個人のある特定の財産権を「用ひる」(“be taken”)すなわち「とりあげて使用する」(註解日本国憲法上巻五六二頁)ことができる旨規定しているが、この場合には特定の個人に加えられた特別の犠牲に対し公平の見地から全体の負担においてこれを調節するために「正当な補償」を必要とするわけである。

そこで、原告の主張する本件告示一四号による小作料の統制と憲法二九条の第二項および第三項との関係を検討してみるに、かつて、農地所有権は他の所有権と比べて格別異つた法規制を受けなかつたのであるが、昭和一三年農地調整法の制定により一定農地の処分制限にはじまり、幾度かの改正を経て、本件告示一四号施行当時には、処分の制限(四条)、使用目的の制限(六条)、土地取上禁止(九条)、小作料の金納化(九条ノ二)、小作料の統制(九条ノ三乃至九)等種々の制限が規定されていた、換言すれば、農地所有権の内容は法によつてこのように制限されていたわけである。

右各種の制限規定のうち、農地調整法第九条ノ三による小作料の統制及び同法九条ノ二による小作料の金納化に関する規定が、本件告示一四号の根拠法条にほかならない、すなわち同法第九条ノ三、第一項第一号によれば、小作料統制令廃止の際「金銭以外ノ物ヲ以テ又ハ金銭以外ノ物ヲ基準トシテ定メラレタル小作料ノ額……ニ在リテハ命令ノ定ムル所ニ依リ金銭ニ換算セラレタル小作料ノ額」と規定し、また同法第九条ノ二第二項によれば、「金銭以外ノ物ヲ以テ又ハ金銭以外ノ物ヲ基準トシテ」なした契約にあつては「命令ノ定ムル所ニ依リ金銭ニ換算セラレタル小作料ノ額……ヲ以テ契約ヲ為シタルモノト看做ス」と規定して、それぞれ「金銭ニ換算セラレタル小作料ノ額」は「命令ノ定ムル所」によることとした。そして、その命令である同法施行令第一二条第一項は「農地調整法第九条ノ二第二項、第九条ノ三第一項第一号の規定ニ依ル小作料ノ額……ノ換算ハ当該契約ニ係ル物ニ付農林大臣ノ定ムル価格ニ依ル」と規定したところ、昭和二一年農林省告示第一四号によつて農林大臣の決定がなされるに至つたというしだいである。

要するに、本件告示一四号に具体化されている法律による小作料の統制は、農地所有権者全般について適用されるものであつて、特定の個人の特定の農地所有権のみについて課せられるものではないし、またそれは「公共のために用ひる」すなわち公用収用・公用使用の場合に当たらないから、何れにしても右小作料の統制は憲法第二九条第三項の予定する公権力の行使に当らず、右統制に現われた制限は同条第二項にいう「財産権の内容」を「法律で定めた」ひとつの場合にほかならないと解すべきである。この点について最高裁昭和二八年一二月二三日大法廷判決も「このように農地は自創法成立までに、すでに自由処分を制限され、耕作以外の目的に変更することを制限され、小作料は金納であつて一定の額に据え置かれ、農地の価格そのものも特定の基準に統制されていたのであるから、地主の農地所有権の内容は使用収益又は処分の権利を著しく制限され、ついに法律によつてその価格を統制されるに及んでほとんど市場価格を生ずる余地なきに至つたのである。そしてかかる農地所有権の性質の変化は、自作農創設を目的とする一貫した国策に伴う法律上の措置であつて、いいかえれば憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するように法律によつて定められた農地所有権の内容であると見なければならない。」と判示する。

以上によつて明らかなように、小作料統制につき憲法第二九条第三項によつて損失補償を請求する原告の主張は主張自体失当といわねばならない。

なお、原告の請求は次の点からしても理由がない。

原告は昭和三八年五月一五日口頭弁論において自陳するように、本件損失補償請求権は、昭和二一年度、同二二年度分については当該各年度の、昭和二三年度分については同年六月の各満了をもつて発生している。しかして「国に対する権利で、金銭の給付を目的とするものについて」は「五年間これを行なわないときは、時効に因り消滅」(会計法第三〇条)し、しかも、その「時効による消滅については……時効の援用を要せず」(会計法第三一条)絶対的に消滅するのである。したがつて、仮りに原告の主張するような損失補償請求権があつたとしても、その発生時期より五年を経過した時すなわち昭和二一年度分については、昭和二六年、昭和二二年度分については昭和二七年、昭和二三年度分については昭和二八年六月の各経過をもつてそれぞれ時効により消滅しているから、原告は、被告に対しその主張にかかる損失補償請求権によつて請求の趣旨所掲の金員の支払を請求することはできないものといわねばならない。

別紙(三)

準備書面

原告 権田鎮雄

被告 国

浦和地方裁判所熊谷支部民事部(ワ)昭和三八年第一三八号金納小作料による損害賠償請求事件

昭和三八年九月二日付の被告答弁書に対し次の如く答弁及び反駁する。

(イ) 答弁書第一の第一項に対する答弁

一反一石の小作料契約が存在した事は添付の旧小作農の法定金納小作料受領証明書に記載されている事で明らかである。

(ロ) 生産者米価とは生産者の売る米の価格である。地主は生産者ではないが生産者である小作農から受取つた小作米を売るのであるから其価格は生産者米価である従つて小作料米価は生産者価格であるから生産者価格を採用した。

第一、第二項末段の物価が昭和二一年、二二年、二三年に於てそれぞれ五〇・六倍一〇九・一倍、一八九・〇倍に騰ていた事は添付の総理府統計局消費者物価指数表によつたもので、同表に依れば昭和九―十一年の三ケ年平均の物価数を一として昭和二一年総合物価指数は五〇・六、同二二年は一〇九・一、同二三年は一八九・〇であるがそれはそれぞれ昭和九年―十一年の物価の昭和二一年は五〇・六倍、同二二年は一〇九・一倍、同二三年は一八九・〇倍に騰ている事を示すものである。

(ハ) 第二に於ける被告の主張の趣旨は

一、農林省令第十四号は憲法第二九条第二項によつて農地財産権の内容を公共の福祉に適合する様に定めたものであるから合憲である。

二、省令第十四号は憲法第二九条第二項の公共の為に使用したものではない。

三、損害請求権があるとしても、それは会計法第三〇条、第三一条に依て消滅している。

右三点にあると思われるので、それに付て次の如く反駁する。

一、憲法第二九条第二項の定めると云うのは決める事で(漢和字典参照)あるが当時農地財産権の内容は法によつて定められていたのであるから被告の主張はそれを再び更に其上に定める即ち決めるとするものであるから之は文法上許されないのである。そして此規定を結果的に見れば此規定は法が認めている財産権はすべて公共の福祉に適合している事を示しているものである。

本件農地の財産権の内容が既に定まつていた事を示せば次の如くである。

本件農地は昭和二三年七月自創法に依て強制買収されたものであるから(この事は被告が売渡を受けてる小作農を調査しているので証明の必要はないと思う)所有権が原告に存在していた事は明らかである。従つて

民法第二〇六条所有者は法令の制限内に於て自由に其所有物の使用収益処分の権利を有す。

憲法第二九条第一項財産権は侵してはならない。

との規定によつて本件農地に付て原告の有する自由なる使用、収益、処分の権利は憲法によつて不可侵を保証されていた訳である。従つて小作農との間に結ばれた自由なる小作契約による小作料も憲法第二九条第一項によつて保証されていたのである。右の様に既に定まつていた農地財産権の内容を再び之を定めると云うのはつじつまの合わない主張ではある。実際に次の様に法規に依て改められているのである。

農地調整法第九条農地の賃貸人は賃借人を宥恕すべき事情なきに拘らず小作料を滞納する等信義に反したる行為なき限り賃貸借の解除若しくは解約を為し又は更新を拒む事を得ず。

農地調整法第九条の二小作料は金銭以外の物を以て金銭以外の物を基準として之を契約し支払い又は受領する事を得ず。

<2>前項の規定に違反する契約に付ては命令の定むる所により金銭に換算せられたる小作料の額又は減免条件を以て契約をなしたるものと認む。

農地調整法施行令第十二条、農地調整法第九条の二第二項及び第九条の三第一項第一号の規定による小作料の額又は減免条件の換算は農林大臣の定むる価格による。

との規定を設け次いで農林省令第十四号の金納小作料米価を設定した事は之等の法令に依て自由な小作契約、取上権、処分権等を之等の規定の内容に改めているのである。改めるに当ては憲法第二九条第一項によつて財産権を侵害する事は許されないのである。公共の為ならば侵害してもよいと云う特別規定はないので公共の為であつても侵害する事は許されないのである。農林省令第十四号の金納小作料米価は準備書面記載の如く只みたいに低額なものであるから之が財産権侵害である事は明らかである。従つて此金納小作料米価の規定は憲法第二九条第一項に違反し同第九七条第一項によつて無効となるべきである。然し此様な財産権の侵害措置も憲法第二九条第三項に依て正当の補償を支払つて公共の為に農地財産権を使用する場合だけはなされ得るのである。然し本件は其場合でも正当の補償を支払つていないのであるから第三項に違反して無効となるのである、施行以前ならば無効でよいが既に施行済みで損害を被つてしまつたのであるから当然支払うべきであつた正当の補償の支払を請求するものである。

第二項の意義を被告と同じく公共の福祉の為には財産権を侵害してもよいとする学者もあるが、その場合どこまで侵害してよいか限度が決めてないので又決める事は不可能であるので、本件の様な只同様の低額の金納小作料米価を押付る事にもなつて、小作料で生活していた地主は生活不能に陥るのである。之は平等権の上からも又人道上からも許され得ない重大問題である。之でも合憲であると云うのでは憲法第二九条第二項は全く無意味となるのである。

同志者大学教授(憲法、政治科)田畑忍氏の憲法条義によれば憲法第二九条第二項は財産の内容が定まつている場合に其上重ねて公共の福祉に適合する様に定めると云うのではなく財産権の内容を定める場合の基準を示したものである。既に法によつて定まつている財産権を公共の福祉の為でも侵害してよいとする事は憲法第二九条第一項及び第三項と矛盾する事になるので許されないと云ているのである(同書参照)。財産権の不可侵は基本的人権の一つであるが基本的人権の尊重は我憲法の基本精神の一つである。と云うのは我国の降伏はポツダム宣言の受諾によるものであるが基本的人権の確立はポツダム宣言の重要事項の一つであつたのである。然も此憲法は聯合国の我国に押付たものであるから基本的人権の不可侵従て財産権の不可侵も我国憲法の基調となつているのである、聯合国としては個人の人権を公共の福祉の為を理由に犠牲にして再び戦争を起す事を防ぐ事も目的としているのであるから公共の為であつても財産権の不可侵である事は当然であつて第二九条第三項によつても明らかである。従て被告の公共の福祉の為には財産権を侵害してよいとする解釈は成立しないのである。憲法の基本精神に反するものである。

公共の福祉と財産権不可侵との調整に付ては

憲法第一二条この憲法が保証する自由及び権利は……国民は之を濫用してはならないのであつて常に公共の福祉の為に利用する責任を負う。

憲法第一三条……生命及び幸福追及に対する国民の権利に付ては公共の福祉に反しない限り立法其他の国政の上に最大の尊重を要する。

憲法第二九条第三項私有財産は正当な補償のもとにこれを公共の為に用いる事が出来る。

民法第一条私権は公共の福祉に従う。

同第一条第三項私権の濫用は之を許さない。

等の規定の示す所である。之等の規定は公共の福祉に反する権利の行使は制限され得る事を示しているのである、財産権の場合も其様な権利の行使は制限される訳であるが憲法第二九条第一項によれば財産権は不可侵であつて公共の為ならば侵害してもよいとの規定はないので財産権は飽くまでも不可侵でなければならない。従つて、公共の福祉に反する財産権の行使の制限も財産権を侵害しなければならない場合には正当の補償を支払わなければならない事は憲法第二九条第一項の示す所である。

損失を要しない財産権の制限は例を以てすれば物価統制令、暴利取締令等の如きである。

之等の法令は暴利の追及や物価の高騰はインフレを招来し国民の生活を脅威するので即ち公共の福祉に反するからそれを防止するのが目的である。従つて其制限価格は平均物価(統合物価指数)に均衡した価格でなければならない。何となれば平均価格以上の価格は暴利と見られ、インフレの原因となると見られて公共の福祉に反するから制限出来るが平均価格及びそれ以下の価格はインフレの原因とならないから制限出来ないのである。平均価格迄の利益追及を認められるので一般並の利益追及が出来る事、インフレ防止によつて其者にとつても幸福を齎す事、且利益追及権は利益が得られるかも知れないと云う期待権であつて未だ利益財産とはなつていない事等から見て平均価格以上の利益追及権の制限は財産権の侵害とは云えないのである。従つて此場合補償を必要としないのである。財産権の行使は自由を原則とするから原因が消滅するとき制限は直ちに解除されなければならない。

公共の福祉に反する財産権行使を制限する場合に於ても憲法第二九条第一項に依て財産権を侵害する事は出来ないので侵害しなければならない場合には正当の補償を支払わなければならないのである。それは憲法第二九条第三項の規定する所である。同項は公共の福祉に反する私有財産の使用権を制限する事は出来るが損失を与える場合には正当の補償を支払うべき事を規定したものである。

本件農林省令第十四号は金納小作料米価の制限価格を規定したものである。小作料は米価が明らかな場合は当然其米価によるべきであるが当時は食糧不足の為米価暴騰し統制価格が設けられていたので正しい価格が不明だつたので此様な規定を設けたものと思われる。従つて其価格は憲法第十四条差別されないと云う規定から見て又財産権不可侵の規定から見て当然当時の平均物価に均衡した価格でなければならない。然るに第十四号の米価は昭和二一年は平均物価の約一八分の一、同二二年は三九分の一、二三年は七〇分の一と云う低額なものであつた之は明らかに憲法第十四条の平等権に反し又同法第二九条第一項にも反するもので憲法九条第一項によつて無効となるべきものである。若し当時逼迫した食糧増産のため小作農を保護する為の目的であるならば即ち公共の福祉の為であるならば私有財産を公共の為に使用するものであるから憲法第二九条第三項によつて正当の補償を即ち平均物価に均衡する価格と第十四号米価との差額を支払わなければならないのである。其正当の補償を支払う規定のない省令第十四号は憲法第十四条同第二九条第三項違反となり同法第九八条第一項に依て無効となるのである。

二、被告は憲法第二九条第三項の「使用する」の意義を其物をとりあげて所有権を移転して用いる場合に限定しているが同項には其様な限定規定はないので用いている場合すべて同項が適用されるべきである。法の解釈はあるがまゝに解釈すべき勝手に狭く解釈する事は許されない。

使用すると云う事は用いる事で自己の目的の為に其物を利用する場合はすべて使用する事である。他人の物を使用する事は一般に所有者の使用をおさへて自己の思うまゝに自己の目的の為に利用する事を云うが共同使用と云う事もあるので所有者から其物をとり上げてしまわなくてもよい訳である。本件の場合にあつては原告は民法第二〇六条によつて其農地に付て自由なる使用、収益、処分の権利を有していたのである。且その権利は憲法第二九条第一項によつて不可侵を保証されていたのである。然るに被告は土地取上禁止規定並に只同様に低額の金納小作料米価規定を設定し之を据え置く事に依て自由なる使用収益処分の権利を勝手に取上げてしまつたのである。此措置がなければ必要の場合地主は土地を取上げて耕作する事も出来金納小作料も物価の上昇につれて引上げの契約も出来たのである。それを禁止された為に小作料で生活していた地主は生活困窮するに至り反対に小作農は他人の土地を取り上げられる心配なく只同様の小作料で耕作し得る事になつたのである。之は被告が其農地を食糧増産を目的とする小作農保護の為前記の如き制限内に於て其農地を利用即ち使用したものである事は明らかである。

実際にも所有権を移転せずに公共の為に私有財産を使用する場合は多いのである。例えば公共の工事の為其近傍の土地を所有権をとりあげずに使用し終了後返して其際補償を支払う如きである。

三、本件の損失補償請求権は裁判所の判決があつて始めて発効するものでそれ以前に於ては債権を生じていないのである。会計法第三〇条は債権が生じている場合に付て言つているのであるから其時効の進行は裁判によつて権利が確定し債権が発生した時から開始さるべきである。従て被告の此主張は当を得ない的外れのものである。

昭和三八年一一月一一日

原告 権田鎮雄

浦和地方裁判所熊谷支部 御中

添附書類

一、日本農業基礎統計による昭和九年―十一年の生産者米価に付ての証明 壱通

二、総理府統計局の消費者物価指数表                 壱通

(別紙目録) 物件の表示

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